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アルバムリリースロングインタビュー(前編)
2016-08-07 update
女性トリオ・バンド「miu mau」のフロントマンとして、また「COET COCOEH」名義のソロ活動でも知られる高島匡未さんは、いま香川県で暮らしている。香川に移住する前は福岡に住んでいて、私はそのころ高島さんと知り合った。ミュージシャンとお客さんという関係でもありつつ、私は以前、福岡のミュージシャンを紹介するケーブル番組のスタッフをしていて miu mauを取材したこともあった。
去年は福岡のライブが無く会う機会がなかったので、何してるんだろう?と気になっていたら、今年に入ってふいに高島さんからメールが届いた。「夏に新作を出すので、ぜひインタビューをお願いしたい」という内容だった。高島さんにインタビュー???新作リリースの知らせは嬉しかったけれど、インタビューが本業ではない私へのオファーに少し戸惑ってしまった。電話で尋ねたところ、 なんと高島さんは今年、音楽活動20周年を迎えるのだそう。それで、昔から知っている私に声をかけてくれたとの事だった。さらにmiu mauをインタビューした時の私の印象を話してくれ、その言葉にぐっときたのもあり、今回のインタビューを引き受けることに。
というわけで6月、香川を訪れ、これまでの20年を振り返りつつ新作「Fake Night」について話を伺った。何年かぶりの再会だったけれど、穏やかな中に情熱を秘めた語り口は相変わらずで嬉しかった。
インタビュー文: 吉田晴子(SOUTH POP)============= Masami Takashima インタビュー 前篇 =============
熊本時代 (バンド結成~ソロ活動スタート)
熊本で生まれ育った高島さんは、1996年にバンド「それでよかったのか?」を結成。ピアノボーカル、ベース、ドラムからなる3ピースバンドで、インタビュー中にも出てくる「ビーボイス(※福岡のイベンターBEA が発行するマンスリースケジュール)」によると、 『地元熊本ではワンマンで 250 名もの動員を誇る人気バンド』と解説されている。私は2000年頃から福岡のインディーズ・バンドの ライブを見に行くようになり、インパクト大なバンド名もあってその存在は知っていた。高島さんと知り合ったのは 10 年ほど前、彼女がソロを始めた頃だったと思う。高島さんからいただいたバイオグラフィーとおぼろげな記憶を頼りに、その歩みを振り返った。吉田(以下──)音楽活動20周年ということですが、活動の始まりは?
Masami Takashima(以下M):以前やっていた「それでよかったのか?」というバンドが始まったのが 1996年で、チケットを買っていただいて皆さんの前で自分の曲を演奏する、というスタイルを始めた年です。もっと前から音楽は作っていたんですけど、 区切りとして、活動の始まりはバンド結成の年にしています。
──学生の頃?M:高校生です。Django(熊本のライブハウス)で、日曜のお昼に出るイベントに出ていました。
──もともとはピアノをしていたんですよね?
M:習い事でピアノを習っていました。小学生の頃ピアノの先生にコードを教えていただいて、見様見真似で曲を作ってました。“楽器を弾いて歌を歌う”というのは、小さい頃から馴染みのあるスタイルでしたね。オリジナル曲 を演奏しようと始めたのが「それでよかったのか?」というバンドなんです。
──その後それが本格化して、メジャーレーベルからCDも出して。
M:始めた当初は10代だったので、年上の先輩やお世話になった方々から気にかけていただいてワンマンライ ブを行ったり。良いご縁があって、メジャーのレーベルからアルバムを1枚出しているんです。その後はバンド名 も変わって(※2003 年「ネルソングレート」に改名)という感じです。
──「それでよかったのか?」の名前は色んな雑誌で目にしていたし、ビーボイスにも表紙にどーんと載っていて。
M:載ってた(笑)!
──名前が強烈だから印象に残っていて(笑)。ちゃんとライブを見たのはネルソングレートからで、かっこいいな と思っていたんですけど、私が高島さんの存在を最初に意識したのはソロアルバムからなんです。coet cocoeh (ココエ)の「私は部屋を出た」というアルバム(2006 年リリース)がすごく印象深くて。バンドと並行してソロを始めようと思ったのは何故なんですか?M:もともとcoet cocoehを始めようと思ったのは、「たった一人でも、ミュージシャンとして歌う場所に立てなくちゃ、音楽を作ったり人前で歌う人としてダメなんではないか?」っていう自問自答があって。(ネルソングレートの)メンバーに「バンドもちゃんとやるから、一人でもやらせてほしい」と“自分の中での挑戦”みたいな感じで始めたのがきっかけです。
──バンドも並行して活動されていましたが、その後ネルソングレートは活動休止したんですよね。
M:休止から1年後にたまたま私が福岡に引っ越すことになったので、「女性ばかりのバンドがやりたい」と思って、 私から今のmiu mauの二人に声をかけました。
福岡時代 (miu mau 始動〜30 歳の節目にソロワンマンライブ)
昔から、高島さんが仕掛けることにはいつも驚かされてきた。2006 年、ちょうど10年前に結成した「miu mau」もそうだった。ネル ソングレートのピアノ・ロック・サウンドとも、coet cocoehのピアノ弾き語りともまったく違うニューウェーヴ・サウンド。女性3人がお揃いの服でエレクトロな音楽を奏でる姿は、当時人気が出始めたperfumeを彷彿とさせる雰囲気も感じて、新しいバンドの登場にワクワクした。──miu mau の結成が 2006 年で、割とここ、節目の年ですよね。高島さんの中でも“転換期”という意識はあるんですか?
M:ネルソングレートの時は、3人がそれぞれ曲を持ち寄ってスタジオで音を合わせて曲を作っていくっていう、みんなの音を出し合うスタイルだったんですけど、miu mauは、もう最初に自分の中でこういうバンドをしたいというイメージがあって、そこで初めて DTM(デスクトップミュージック)を始めたんです。DTM というのはパソコンを使って音楽を作るスタイルなんですけど、miu mauを始める時にデモテープを作ったのが DTM の始まりなんです。それがきっかけで今に繋がっていったかなあとは思いますね。
──並行してソロも続けていたんですよね。
M:メンバーは(ギターの梶原が)百蚊と(ドラムの松田が)雅だよ雅(当時)で、二人とも活動の場がある人達。色んな活動をしているメンバーが違う場所に集まって音楽を作るというのがいいなと思って。
──miu mauの初期の頃に言われていたコンセプトがありましたよね。
M:「クール&ハーモニック」が、miu mau を結成したの時のコンセプト。これ、日本語英語なので海外の人には通 じないかもしれないんですけど。“ハーモニー”を聞かせたかったのと、日本語でいう“クール”さ……<かっこい い><冷たい><冷静な>という意味で。冷静さと、ハーモニーの重なり合う感じがイメージにあって。三声で歌 うとか、楽器が重なりあうとか、音色はそういうイメージがありましたね。
──当時、高島さんが「頭の中は冷たいけど、心は情熱を持って」という言葉を言っていたのが印象に残っていて。どういう言葉でしたっけ?
M:「熱いハートと冷たい脳」です。以前、人から聞いた言葉なんです。私の理想をポップにまとめてあって、とってもいい言葉だなって。あー、これこそ私のモットーだ!と思ったんです。
──それはもう、miu mau に限らず?
M:限らず。うん、そういう人でありたいなと思います。
──今でも?
M:それは今でも、あります。
──クールという言葉が英語の意味とは違うと仰っていましたけど、日本人一般のもつクールの意味合いともち ょっと違う印象があって、高島さんの考えるクールって何だろうなってずっと引っ掛かっていて。それは単にクールってだけじゃなく、それと相反するものも大切にした上でのクールなのかな、と漠然と思っていて。
M:あ〜、なるほどね。そうかもしれないです。
──(いただいたバイオグラフィを見ながら)この頃印象に残っているのが、2008年福岡のアクロス円形ホールでワンマンライブをしたっていうのがあって。
M:そうですね、これ(バイオグラフィに)書いてないですね。すごーい、よく覚えてますね。
──いや、単純にすごいなと思って。その半年前か1年前にアクロスホールをおさえたって言っていたのを覚え ていて。これは何故やろうと思ったんですか?
M:集中できる場所でワンマンライブをやりたいなと思っていたんです。以前ライブをしたアクロス円形ホールでの演奏の感覚を覚えていたので、ワンマンをやるならアクロス円形ホールがいいなあと思ってて。そう思ったきっかけというのが、ちょうど30歳になる年だったのです。
──そうなんですね。
M:それで、自分の中でも節目になる年だったので、ここでワンマンを演りたいと思って。次回作、「Modern Tempo」の構想があって既に作り始めていたので、ピアノと歌というスタイルをきちんと成立させたかったというのもあります。
香川へ移住(COET COCOEH 新作リリース~音楽以外の活動)
熊本〜福岡を経て、2009 年に香川へ移住。香川では知り合いがほぼいない状態からのスタートだったにも関わらず、活動のペ ースが落ちることなく新作「Modern Tempo」をリリース。またジンの制作など、音楽以外の動きも目立つように。その背景には高島さ んのポテンシャルの高さはもちろんあるだろうけれど、香川という土地柄の影響もあったようだ。──2009 年に「Modern Tempo」を出されて。前作の「私は部屋を出た」から、ガラリと作風が変わりましたよね。
M:変わりましたね。それはもうまさしく、miu mau を始めて、DTMで作る楽しさを覚えたことと、今までできなかった、たとえば四つ打ちの感じをせっかくだったらやってみたいという気持ちが芽生えてきて。10 代の頃によく、そういうクラブミュージックも聴いていたので。チャレンジ精神ですね。
──毎回挑戦してますね(笑)。
M:アスリートみたいです、本当(笑)。
──そうやって立ち向かっていくことが、自分を鼓舞させるんですか?
M:そうかもしれないですね。
──香川に移住してから、音楽の幅が広がった印象があります。何か意識の変化はあったんですか?
M:ありますね。こちらに来て、福岡で聴いていた音楽とは全く違う音楽を聴くようになって。福岡にいた頃は福岡でしか鳴っていない音楽があって、香川では福岡の音楽をなかなか聴くことができなくて自分の中でじれったさもあったんです。でもこちらに引っ越して来て、DJさんや音楽に詳しい方とお会いする機会がすごく増えて。かっこいい音楽をたくさん教えていただいたので、音楽を聴く幅が本当に広がりました。一歩踏み込んで音楽に向き合 いたい、と思わせてもらえた場所だと思います。
──福岡にいた頃もクラブには行ってたんですか?M:行ってました。けど、福岡にいた頃はクラブよりライブハウスに行く機会の方が圧倒的に多かった。
──香川の DJ の方達とは、どこで出会ったんですか?
M:クラブイベントやパーティーだけでなく様々なイベントでご一緒させていただいたり、お洋服のお店で出会ったDJさんやオーガナイザーさんも多いです。
──そういう機会が増えたのは、土地柄みたいなものもあるんでしょうか。
M:街がコンパクトなので、音楽に限らず、ファッション、美容、アート、食など多方面で活躍されているクリエイター、 デザイナー、作家、オーガナイザーなど様々な肩書きを持つ方に出会う機会がすごく増えました。
──そういう点では、香川に来て良かったと思いますか?
M:音楽の幅が広がった点に関しては、すごく思います。今までなんで聴かなかったんだろう、もったいなかったなあと思うぐらい広がりました。
──そうやって吸収したものを、いち早く自分の音楽に取り入れられるのもすごいですね。
M:昔は、たくさん音楽を聴けば真似になっちゃうんだろうなあって思って、音楽をたくさん聴かなかったんです。それよりは、自分から生まれてくるものに忠実でありたいと思っていたんですけど、今はたくさん聴いても、自分なりの解釈で音を作れる技術は少し身についたのかな、と思っています。だからきっと、(色んなジャンルの音楽を柔軟に)取り入れたいと思うようになったのかなと思います。
──「Modern Tempo」では音楽だけじゃなく、ルックスもがらりと変わって。香川の写真家の方とコラボしてジャケット写真を撮られていましたが、どんな経緯でこのジャケットになったんですか?
M:(香川で最初に出会った)写真家の GABOMI.ちゃんに撮っていただいて、最終的にジャケットにも使わせてもらいました。
──香川に移住されてから、音楽以外の表現の幅も広がった印象があります。ジン(「GIRLS+NOISE」)も作っていて。私もジンが好きで、ジンを持ち寄ってみんなで読む、という会を時々やっているんですよ。そういう場に「GIRLS+NOISE」を持っていったら、「これカッコいいですね!」ってパンクスの男の子が言ってくれたりとか。
M:本当ですか!
──うん。やっぱり、伝わる部分があるのかなと思います。
M:嬉しい。
──かっこいいですよね。これはなんで作ろうと思ったんですか?
M:私が主催した「FANTASY」というイベントがあるんですけど、それが「Modern Tempo」を出して、初めて香川で 企画したイベントなんです。先ほどのGABOMI.ちゃんや香川で出会ったVJさんDJにも参加して頂いたのですが、ライブとDJと映像が融合した感じのイベントで、自分が一番観たいなって思うイベントを企画したんです。それを記録として残したかったっていう。それが最初に作ったジン第1号ですね。
──1号にはFANTASYのライブレポやGABOMI.さんとの対談が載っていますね。それが3号続いたのは?M:GABOMI.ちゃんとの対談が、1号だけでおさまりきれなくて。新しい事に軸を持って猛進している女性は美しいなあと思っていて、そういう女性とお話していきたいなと思って。
──1~2号で GABOMI.さんやtokyo pisnalocksのHisayoさんとの対談、3号にはDJのm.y.k.さんのコラムも載っていますね。
M:はい。3号ではお話を伺ってみたい11人の女性に声をかけて、セレクトしていただいたカルチャーもご紹介しています。m.y.k.さんはもともと福岡で活躍されていた方で。福岡に住んでいた頃遊びに行っていた「candy」とい うイベントでm.y.k.さんのDJがすごいカッコよくて、佇まいも素敵で。かける音楽が知らない曲ばかりで、でもそれが全部かっこよくて。憧れのDJの一人ですね。
──福岡にいた頃からお知り合いだったんですか?
M:私が一方的に知っていました。チクロマーケット(福岡のレコードショップ)にいらっしゃった方なんです。
──じゃあ3号を作る時に初めて声をかけて、コラムをお願いしたんですね。M:m.y.k.さんには私が企画していたイベント「FANTASY」にもゲスト DJ で来て頂いたので、そのご縁もあります。
──女性に対する考え方というのが、高島さんの中にあるように思っていて。音楽からも、女々しいものじゃない 女性らしさ、というものを感じます。なにか、こういう女性でありたいというのってあったりしますか?M:今はもう、不必要なものを削ぎ落としていきたいです。
──へえ〜、どういうことですか?
M:たとえば、「あの時ああすればよかったな」って思うことめっちゃ多いんです。でも反省するだけではなくて、目の前の状況を受け入れていこうって。思考だけじゃなく、生活の中でもモノは増やさないとか、時間の使い方とか そういう部分でも必要なものだけにしていきたい。余白を大事にするというか。そうやってシンプルに生きたいな っていうのが、今一番興味があります。
──それは何かきっかけがあったんですか?M:きっかけ……? きっかけはあります。去年、音楽をほとんどお休みしていて。miu mauも COET COCOEHもお休みしていましたし、音楽イベントにも片手で数えるぐらいしか行ってなくて。結構自分のなかでも、「もう私、音楽やめようかな」って思うくらいダークだったんですよ(笑)。
──そうだったんですか。
M:思春期の学生みたいですけど、「私はなんで音楽をやっているんだろう?」とか、そういう自問自答の延々繰り返しの日々で。でも冷静に考えると、音楽的にはちゃんと歴史になっていて、そのダークな時期があったからもう ちょっと頑張ってみようと思えたのかなと、今となっては思います。それで自分の中でも不要なものをどんどん削 ぎ落としていきたいなっていうのが、シンプルに生きたいと思う(ようになった理由の)一つですね。
近年の活動(「GLASS COLLAGE」リリース〜お休みしていた2015年)
「音楽をやめようとまで思っていた」というちょっとショッキングな発言があったけれど、その前年には、ファッションショーの楽曲制 作という新たなステップを踏んでいた。そのサウンドトラックとして制作された「GLASS COLLAGE」をリリースし、彼女自身手応えを 感じる作品が出来たのにもかかわらず、なぜ休養期間に入ったのだろうか。
──おととしリリースされた「GLASS COLLAGE」について聞かせていただけますか?
M:「GLASS COLLAGE」は、ALIGHT(アライト)のファッションショーのサウンドトラックです。デザイナーのOkaさんに声をかけていただいてファッションショーの音楽を担当させてもらいました。10代の時に、もしOkaさんのつくるお洋服に出会っていたら価値観が違ってたんじゃないかなっていう、本当に、何ていうのかな……夢の中にいるようなお洋服を作られる方で。
──ファッションショーでは何をされたんですか?M:ファッションショーは2シーズン音楽を担当させてもらって、1回目はランウェイを歩くモデルさんの速度に合わ せながらピアノを演奏しました。2回目は Oka さんが描くショーのコンセプトに合わせてお洋服1着1着をイメージしながらランウェイの音楽を制作しました。結構バラエティーに富んだような……。
──そうそう。想像していた以上に、1曲1曲のイメージが違うのでびっくりしました。それはやっぱり1着1着に 様々なイメージがあるっていうことなんですね。M:そうなんです。自分でストーリーをつけて、例えば「このお洋服を着ている子は、こんな風に考えているんじゃ ないかな?」っていう、その女の子の気持ちになって、まあ自分の若い時を振り返ったりして、自分が10代だったらどうだろうなとか、そういうことを考えながら、結構妄想して作った曲ですね(笑)。
──どのくらいの期間で作ったんですか?M:2度目に参加させていただいたファッションショーがあったのが 2014年12月で、Okaさんとお話をして「こういう感じでやりたい」というのが決まったのが10月頭だったんです。で、この10月から12 月の間に曲を最初から作って。
──けっこう短期間ですよね。
M:そう。で、CDをちゃんと盤面に落とすことまでしたので、だいたい2か月で作ったんです。
──へえ、すごい。
M:結構、「私やったらできるんだ」って。──(笑)。
M:リリックやトラックの制作、レコーディング、ミックス、そして、特典のジンまで作って、ギターの演奏以外のほとんどを一人でやりましたし、総合的な視点で制作する事の面白さと、音楽で誰かの役に立つ喜びみたいなことを 再発見した感じはありますね。
──そうだったんですね。それなのに、お休みにされるようになったのは……。
M:ショーは素敵でしたけど、残念ながらサントラの反応は少なかった。ちょうど同じ頃に身内に不幸があっ たり、私自身体調もよくない時期もあったり。私と音楽の関係性がもうわからなくなってしまって。そういうの が色々重なって。「もう音楽をやめよう」っていう極論に最終的になったんですけど。
──実は私の身近でも、音源を出したは良いけど、反応があまりなくて悶々としているという声を聞くことがあっ て。そういう声を聞いて、答えは見えないですけど、私も微力ながら何か力になれることはないかな、と思って。フリーペーパーを作ったりイベントをやったり、色んなやり方で知ってもらえる機会を作れたらいいなと思ってやったりしていて。どこまで力になれているかわからないですけど。
M:でも、力になりたいと思ってくれるひとが近くにいると思うだけで、ずいぶん違うと思いますよ。今回は私一人で やっていますけど、miu mauの時はメンバーがいて、「この二人と音楽をやっていて良かったな」って思うことが何 回もあったので。そういう風にチームじゃないけど……メンバーがいるっていうのは、モチベーションとしては大きいなって思います。なので力になりたいと思っていたら、それを伝えて下さい。
──メンバーがいることの、どんなことが良いなって思ったんですか?
M:みなまで言わずにも伝わっているっていうか。10年間でライブの本数は数えられるぐらいだったんですけど、その中でみんなそれぞれの価値観で、miu mauを大事にする気持ちで動いているんだなと、それがなんか、私にはすごく嬉しかった。素直に自然に状況を受け止めてくれて良かったなあと思いました。
(後篇へ続く)
アルバムリリースロングインタビュー 後編